Hitomi Kanehara
column 2
20-11-2009

数日ぶりに、静寂が訪れた。あまりに静かで、耳がおかしくなりそうだ。しかし一時間も経てば静寂は終わり、喧噪が辺りを支配するだろう。ひどく怠い。そしてひどく憂鬱だ。数分前、叫び声を挙げ、椅子を蹴りつけた。昨日の夜マックを食べたため部屋が臭い。どうしようもないほど部屋が散らかっていて、洗濯物が溜まっている。飲みかけのジュースが五本、飲みかけのビールが三本、食べ散らかしたポテトが床に散らばっている。部屋中が混沌としていて、何かどうしようもない事態に突入し始めている事に気付く。一人きり、静かな部屋で、床に落ちたポテトを見ている内、そのポテトがポテトではなく蛆で構成されたポテトの形をしたものだという事が分かったのだ。ポテトのふりをした蛆がなんとなく可哀想で、ポテトのふりなんかしなくていいんだよと言うと、蛆はだらけてとろっと何百万匹もの蛆へと分裂した。ポテトから蛆へと変化する様子をベッドに横たわって見ていると、蛆はどんどんベッドを上り始め、あっという間に体を膨らませ、次第にこの体を蝕んでいく。眼球から口から鼻から性器から、蛆に這われた体は生気を失い死体のよう。目の前にひときわ大きな蛆が見える。嘲笑うかのように蛆はくねくねと覗き込む。踊る蛆、ぬめる蛆、震える蛆、身悶えする蛆、ボックスを踏む蛆、祈る蛆、たゆたう蛆、弾ける蛆、かわいい蛆、寒がる蛆。次第に愛着が湧いていく。何かシンパシーを感じる。体内に蔓延る蛆が、次第に自分の中に取り込まれていっているのが分かる。蛆との融和を謀る。次第に蛆への気持ちはシンパシーから依存となり、もう蛆なしでは生きていけないような思いが沸き上がっていく。そもそも、蛆は最初この体から這い出て、あのポテトの擬態をしていたのかもしれない。元々、この体と蛆は一体だったのかもしれない。でもあれがこの体から這い出た蛆だとすれば、この体は腐っているという事になる。ポテトはまだ数本床に落ちている。あれらもよく見れば蛆なのだろうかと思い観察していると、サラダを食べる時に使ったフォークが目に入る。プラスチックのフォークは白く、赤い何かで汚れている。蛆は完全に体内に取り込まれ、もう姿形を失い、完璧にこの体と溶け合った。そして思う。これで私は完璧になったのだ。蛆が欠けていた私から、蛆を取り込んだ私となり、私は本来の私となった。勢い良く起き上がると、私は手を伸ばして床のフォークを手に取り。その拍子に私の眼球から零れ落ちた、丸々とした蛆をフォークで突き刺し、再び叫びを挙げた。

 

Hitomi Kanehara
Column 5
01-12-09

日本に帰国して一週間。すっかり日本の生活に戻ってしまった。旅行中の、何とも言えない浮遊感は失われ、強烈な現実感の中で元通りの生活を送っている。飛行機は、離陸時と着陸時が一番墜落する率が高いと言われているのにかけて、海外出張前と海外出張後の嵐のような忙しさを、今回は離陸が一番大変だった、とか、今回の着陸は大荒れだったなどと表現するのが私の中では定着しているのだが、今回のハーグはフライト中(出張中)もまた嵐の中を飛んでいるかのような慌ただしさだった。

年末進行というものは、海外にもあるだろうか。年末年始、皆が会社を休み、印刷所も休んでしまうため、その分いつもよりも仕事の進行が早くなる事をそう言う。つまり作家にとっては、いつもよりも締切が早まるという事だ。日本の会社員はワーカホリックだが、それでも基本的に年末年始はまとまった休みを取るのだ。つまり日本では今の時期、作家たちは皆年末進行の締切に追われ、ひいひい言っている。それはもちろん私も然りで、ひいひい言っている。ハーグでは言葉から解放されるかと思っていたけれど、コラムを三本書かなければならなかったため、向こうでもずっと言葉を考えていたし、帰国前も帰国後も、言葉に追いかけられているかのように、頭の中とパソコンの画面は言葉で一杯だ。もちろん、パソコンの画面が真っ白であっては困るが、この生活の中ではどこにもかしこにも言葉が蔓延していて、少し食傷気味ではある。

私の朝は子どもの「起きてー」という言葉で始まる。そしてつたない言葉で喋る子どもの声を聞き取り、理解し、要求に応え、飯を与えジュースを飲ませ支度をさせ、保育園に預けた後、パソコンを開き完全なる言葉の海へと旅立つ。言葉の海から帰還したら、今度はパソコンをネットに繋ぎ仕事のメールを書いたり読んだりし、軽く家事を片付けたら資料の本を読んだり、原稿に目を通したりして、とにもかくにも言葉に溺れる。カフェに居る時だって、隣の人の言葉が面白ければ書きとめるし、面白い出来事に遭遇しても書きとめる。お迎えに行けば子どもに「今日は何をして遊んだ?」と問いかけ、編集者である夫が帰宅すればほとんど自動的に文学の話が始まる。世界は言葉に満ちすぎている。自分自身が世の中に言葉を蔓延させている犯人の一人だと知りながら、たまにはテレビもパソコンも雑誌も本も何もない、南国のコテージで一人佇みたいと思う。私が今の生活の中で言葉から解放されるのは、一人家事をこなしている時と、お風呂に入っている時くらいなのだ。人間の、言葉に対する希求を見ていると、まるで何かに憑かれたようだと感じる。静かに過ごしたい。子どもが泣き喚くだけの存在だった頃もそう思ってはいたが、一緒にいるとわあわああれこれ話しかけてくる生活の中では、より強くそう思わざるを得ない。

例えば、僅かな空き時間を静かに過ごしたくて入った喫茶店で、顔見知りの客が話しかけてきたり、お風呂に入っている時「電話だよ」という声が聞こえたり、あまり読みたくない本が献本されてきたり、そういう時、止めてくれ、と思う事は誰にだってあるだろう。一日中人と話して帰ったら、家では少しくらい静かに過ごしたいと思うだろう。でも、一日中人と話して人疲れして帰宅した後、テレビを見たり本を読んだり、家族と話したいという時もある。言葉言葉の世界に生きているせいかどうか分からないが、人には言葉によってしか癒されない部分がある。優しく頭を撫でてもらったり、マッサージに行ったり、セックスをしたり、そういう事で癒される所もあるが、本を読んだり、言葉を掛けてもらったり、誰かととことん話し合ったり、そういう事でしか癒されない部分がある。言葉で構成され、言葉で形作られてきた人間には、否応なしにそういう性を併せ持ってしまったのだろう。

子どもは毎日、あれこれと絵本を持って来ては「読んで」とせがみ、一日に五十回くらいは「これなあに?」と聞き、覚えた単語を使いたくてあらゆるシチュエーションに当てはめて使ったりしながら、どんどんと言葉を吸収している。ハーグにいる間、子どもは急激に言葉を伸ばした。これまでも海外へ行くと、その都度子どもは日本語を飛躍的に伸ばしていった。それはきっと、言葉が通じない=自己の崩壊、という図式があるからなのだろう。そうして言葉を求め、言葉に依存し、言葉によって自己を確立させていっている姿を見ると、美しくも儚い生き物だなと、人間に対する愛情が芽生える。かくして、私は言葉を多用し、乱用し、紡ぎ続けるのだろう。

column 4
22-11-09

夕方六時に寝て、夜中の三時に寝るサイクルだった子供は、私が出かけようとしているのに勘づいているのか全く眠りにつかず、結局泣き喚く子供を夫に託し、フェスティバルの会場に向かったのは九時を回った頃だった。風が心地よく、私はホテルから歩いて会場へ向かった。道中、携帯で東京の編集者にメールを打っていた。クロニクルのコラムの締め切りが毎日やって来るせいで、私は日本から引きずってきた仕事を全く進められなかったのだ。

海外の本にはほとんど見当たらないが、日本の本には、下四分の一ほどを覆う「帯」というものが巻かれていて、そこにキャッチコピーや小説の引用を記す事になっている。基本的には編集者が帯文を決めるのだが、諸事情のため次の本の帯文は自分で考えなければならなかった。私はもう数日締め切りを過ぎている帯の文章を打ちながら歩き、所々石畳でつまずいた。

そして更にもう一つ締め切りを過ぎているのは、来月から始まる連載小説のタイトルだった。いつも小説を書き上げた後にタイトルを考える私は、最後の最後まで悩むのが定例になってしまっていて、今回もまた、一回目の原稿を終えても尚、良いタイトルが全く思い浮かばなかったのだ。いずれにせよ、タイトルの入校は日本時間で火曜朝のため、少なくとも日本時間で月曜夜には送らなければならず、どうしようどうしようと思いながら、それでも良い案は一つも浮かばず、焦れば焦るほど思考は固まっていった。

ホールに着くと頭は空っぽになって、知っている人や知らない人、数人と話した後、数カ所のホールに足を踏み入れた。日本ではまず見る事の出来ないものを、ここぞとばかりに吸収しようと、あちこちを歩いて回った。

以前、こんな話を聞いた事がある。日本人は旅行をする時、観光名所で写真を撮らないとそこに来た証拠を残せないと思い込み、必ずガイドブックに載っているような名所をバックに写真を撮っては満足して帰っていく。つまり日本人にとって旅行とは「観光名所をバックに自分の写真を撮る仕事」である。だから日本人は旅行を楽しむ事が出来ない。そんな話を。あれもこれもと、ふらふらしている私は、その写真の話に近い強迫観念を持っていたのかもしれない。

とうとう私の足が止まったのは十一時過ぎ。そこは大きなホールだった。丁度スタートに間に合ったそのバンドは出てくるなり激しく歌い始め、二階席で立ったまま見ていた私はわっと足を掬われたような気持ちになった。二曲目、ああ苦手かな、と思い、出入り口をちらっと確認した。三曲目、ああやっぱりいいかもと思った。四曲目が始まった時、ああ帰国したらこの人たちのCDを買おうと思った。そして五曲目が始まり、次第にメロディーがサビに向かって高まっていくのを聞きながら、体の芯から放心していくのを感じた。じわっと体が弛緩するような、逆に緊張するような、そういう感触が走って、ああまた音楽に救われた、そう思った。

四年前、音楽に救われた。薬を飲んでも精神科に行ってもどんなに泣いてもどんなに言葉を尽くしても抜け出せなかった孤独感と世界への不信感が、ある一枚のCDを聞いた瞬間、ほどけるようにして一気に和らいでいったのだ。私はそのCDを聞き込み、更にそのバンドのCDを買い込み、いつの間にか解放されていった。

またしても、私は異国の地で、見知らぬバンドの、初めて聞く曲に救われた。自分が何に縛られているのか、いや自分が何ものかに縛られている事にさえ気付いていなかったにも拘らず、私は解放され、救われた。しゃかりきになって仕事をして育児をして、何も見落とすまいとフェスティバルを回り、自分は何をしたかったのか、もう分からなかった。

column 3
21-11-09

日本では、書きたい事が決まるまで、書き出さない。書きたい事と、書ける事と、書くべき事、それらを考え抜き、プロットをたて、初めて書き始める。書き始めるまで、私はパソコンと見つめ合ったり、宙を見つめたり、足下を見つめたり、或いは何かノートをとったり、メモをとったりしている。

日本では、エッセイ一本であれ、締め切りの一ヶ月以上は前に依頼してくるのがしきたりであって、短編あれば二、三ヶ月は余裕を見て依頼をしてくるし、連載や書き下ろしであれば数年前から依頼をしてくる事もある。何が言いたいかと言えば、このコラムの連載が、かつてなくハードだという事だ。

三日連続でと言われた時は驚いたが、何とかなるだろうと考えていた。でも実際に始まってみると、こんなの出来ない、と思うような苦しみである。今日のコラムの締め切りは五時だった。しかし今は七時半である。精一杯努力はしているが、これはコラムという仕事であり、執筆という点に於いては自分自身との戦いであり、私が見えなくなると泣き喚く子供との戦いでもある。子供が走り回る部屋では書けないので、子供を寝かしつけてから書こうと思ったら、子供は一時間以上ベッドの上でごろごろし、仕方がないので夫に子供を任せ、ホテルのロビーに降りて執筆を始めたら、二十分ほどでベビーカーに乗った子供が降りてきて、「泣き喚くから」と夫は言う。今正に、少し離れた所から夫に抱っこをされたまま「ママ帰ろう」と呼びかける娘を無視しながら書いている。そもそも、この仕事に子供を連れてきたのが間違いだった。日本でもしゃかりきになって育児と仕事を両立してきたが、旅行中は人の手を借りる事も出来ないため、ここまではっきりとした形で「仕事と育児の両立」を強いられたのは初めてだ。

時差ぼけで夕方の六時に寝、午前三時に起きる子供のサイクルに巻き込まれているため、もう既に吐きそうなほど眠たいが、このコラムを書き上げた後、子供を寝かしつけ、フェスティバルに行く予定だ。部屋に戻った後は荷造りをして、化粧も落とさず眠ってしまうだろう。しかしそうして寝ても、また午前三時には子供に起こされるはずだ。文句ばかり言っているようだが、デン・ハーグは素晴らしい街だと感じている。昨日は寝不足でちらっとしかライブを見れなかったが、それでもフェスティバル自体の空気はゆるりと心地よい。では今から、子供を寝かしつけ、フェスティバルに出かけるとしよう。

column 2
20-11-09

数日ぶりに、静寂が訪れた。あまりに静かで、耳がおかしくなりそうだ。しかし一時間も経てば静寂は終わり、喧噪が辺りを支配するだろう。ひどく怠い。そしてひどく憂鬱だ。数分前、叫び声を挙げ、椅子を蹴りつけた。昨日の夜マックを食べたため部屋が臭い。どうしようもないほど部屋が散らかっていて、洗濯物が溜まっている。飲みかけのジュースが五本、飲みかけのビールが三本、食べ散らかしたポテトが床に散らばっている。部屋中が混沌としていて、何かどうしようもない事態に突入し始めている事に気付く。一人きり、静かな部屋で、床に落ちたポテトを見ている内、そのポテトがポテトではなく蛆で構成されたポテトの形をしたものだという事が分かったのだ。ポテトのふりをした蛆がなんとなく可哀想で、ポテトのふりなんかしなくていいんだよと言うと、蛆はだらけてとろっと何百万匹もの蛆へと分裂した。ポテトから蛆へと変化する様子をベッドに横たわって見ていると、蛆はどんどんベッドを上り始め、あっという間に体を膨らませ、次第にこの体を蝕んでいく。眼球から口から鼻から性器から、蛆に這われた体は生気を失い死体のよう。目の前にひときわ大きな蛆が見える。嘲笑うかのように蛆はくねくねと覗き込む。踊る蛆、ぬめる蛆、震える蛆、身悶えする蛆、ボックスを踏む蛆、祈る蛆、たゆたう蛆、弾ける蛆、かわいい蛆、寒がる蛆。次第に愛着が湧いていく。何かシンパシーを感じる。体内に蔓延る蛆が、次第に自分の中に取り込まれていっているのが分かる。蛆との融和を謀る。次第に蛆への気持ちはシンパシーから依存となり、もう蛆なしでは生きていけないような思いが沸き上がっていく。そもそも、蛆は最初この体から這い出て、あのポテトの擬態をしていたのかもしれない。元々、この体と蛆は一体だったのかもしれない。でもあれがこの体から這い出た蛆だとすれば、この体は腐っているという事になる。ポテトはまだ数本床に落ちている。あれらもよく見れば蛆なのだろうかと思い観察していると、サラダを食べる時に使ったフォークが目に入る。プラスチックのフォークは白く、赤い何かで汚れている。蛆は完全に体内に取り込まれ、もう姿形を失い、完璧にこの体と溶け合った。そして思う。これで私は完璧になったのだ。蛆が欠けていた私から、蛆を取り込んだ私となり、私は本来の私となった。勢い良く起き上がると、私は手を伸ばして床のフォークを手に取り。その拍子に私の眼球から零れ落ちた、丸々とした蛆をフォークで突き刺し、再び叫びを挙げた。

 

COLUMN 1
13-11-09

日本語には、一人称が複数ある。女性の場合は大抵が「私」だが、男性の場合は「僕」「俺」「私」の三つを使い分けている。目上の人に対して話す時は「僕」、友達や彼女など砕けた関係の相手には「俺」、スピーチや面接など、公共的な場では「私」と使い分ける事が多い。女性が自分を「僕」、或いは「俺」と呼んでいれば性倒錯的な意味を持つし、男性が日常的に自分を「私」と呼んでいれば、そこにはゲイ的な要素が含まれる。

以前、翻訳家である父からこんな話を聞いた事がある。あるヤングアダルトの小説を訳そうとした際、日本語の一人称の問題に直面したのだという。簡単に言えば、主人公の男の子のモノローグを中心にストーリーが進んでいき、途中からその男の子が実は女の子だったという事が分かり、それと同時に物語が爆発的な広がりを見せるという話なのだが、日本語では一人称で既にして性別を表現している事になるため、本当は女の子の主人公が自分を「僕」と呼んでいれば少年的なるものに対する憧れや、自分の女性性への嫌悪を暗に示してしまうし、「私」と呼んでいれば最初から女性的な男の子という印象を与えるので、実は女の子だったというストーリー展開がうまく機能しない。結局、英語の「I」のトリックを忠実に日本語に訳す事は出来なかったという。日本語というのは、一人称が既に自己表現なのだ。

もう一つの日本語の特徴は、文章内に於いて主語が省けるという点だ。もちろん主語が全くない小説などほとんどないが、一人称で書かれようが、三人称で書かれようが、前後の文脈で主語が想定出来るのであれば、必ずしも必要ではない。むしろ、全てのモノローグに主語が入っていると、うるさく、自己主張が激しいという印象を与えさえする。だからこそ、主語を入れる事によって「私が」という言葉を強調しているような演出も可能となる。編集者が新人作家の原稿にチェックを入れる際も、無駄な「私は」を赤字で囲むのは定番となっている。

私は英語がほとんど出来ないが、英訳された自分の小説をぱらぱら読んでみると、日本語では蠢く青虫のように見える自分の文章が、随分とかっちりした、論理的な文章に見える。海外などでインタビューを受けると、自分の言葉が通訳によって英語に訳されていくのを聞きながら、自分が話した言葉よりもずっと理性的で賢い言葉に言い換えられているような印象を持つ。

翻訳は難しいし、言語の違いは越えがたい障害だ。しかしそもそも、私が日本語を習得し、日本語で話したり、小説を書いたりしている事自体が、翻訳でもある。他人と接する時、言葉や身振り手振り、表情やちょっとした視線の動きなどを交え、コミュニケーションを図ろうとする事自体すら一種の翻訳である。そうして自分でも自分を納得させるため用いている言葉によって構成された小説が、どんな言語に、どういう形で訳されようと、そこに本質的な差などあるだろうか。同じ日本人でも言葉の通じない人はいるし、言葉が通じなくても気持ちが伝わる人はいる。自分が、そして自分の小説が、そうして他国の理解者と出会える事を祈りながら、ハーグを訪れたい。